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「あなたのやってきたことはすべて素晴らしい」 この考え方になると、自分が大好きになります。自分の可能性が信じられるようになります。謙虚になれます。心から感謝できるようになります。 そんな学びの日々を記録しています。
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「今の(表情)田村正和にそっくり!」と笑いながら、娘に言われた。

この一行の文章を見て、どういう感想を持たれただろうかと気になる。

田村正和という名前に注視したか、「笑いながら」というところに反応したかが気になるのだ。

断っておくが、私は女性だ。そこに反応した人もありかもしれない。

普段黒の服を着ることが多いし、首筋の加齢を気にしてハイネックも選びがちである。

しかし高校生の娘にとっての田村正和とは、ほろ苦いラブストーリーには欠かせない二枚目の色白なハンサム俳優・田村正和では断じてないのである。

彼女にとっては日本版コロンボ警部・古畑任三郎なのだ。

その点を考慮して、「どこが?」と詰め寄ってしまう。

固有名詞には配慮しななければいけないと、強く思ったことがある。

あるとき私のセミナーで「信念」をテーマにしていた。例として「小野田さんは・・・」という話をしたら、参加者からすぐに質問の手が上がった。

「小野田さんってどこの小野田さんなんですか?」

配慮が足りなかったとすぐに思った。フィリピン・ルバング島の密林で終戦後の29年間を過ごし帰国した小野田寛郎のことである。30代後半という大人でさえ記憶にない人なのだ。

この衝撃的な羽田空港での帰国中継は日本中を釘付けにした。

「小野田さん」といえばこの人意外に私には考えられない。

それを今に置き換えると、「横田さん」かもしれない。

例えば「横田さんのお嬢さんに対する思いは我々の想像を絶するものでしょう」と唐突に話に織り交ぜたとしても、その横田さんはご近所の方なんですかと聞く人はあまりいないと思う。

言うまでもなく北朝鮮にお嬢さんを拉致されたままの横田さんのことで、羽田での衝撃的な拉致家族帰国中継での無念なご夫妻の痛々しい姿が涙をさそった。

人の名前だけでなく、地名だってそうかもしれない。地名の中にすでに自分の思い込みが入り混じっていることさえある。一昔前の人が熱海といったときと小学生が認識する熱海(ネッカイとさえ読んで知らん顔している若者もいるのだ)とは違うものだろう。

コミュニケーションとは発言していればいいというものではない。

一方的であったなら通じないのは当たり前だなと思った。
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英語などの学習の行き詰まりに顕著に現れることが「プラトー状態」。

plateauとは登ってきてはいるけれど、行けども限りなく平らな台地なので、進んできたことが実感できない。

頂上なんか見えない。いいのかな、こんなでという状態。

馬鹿らしくなってきて、もうやめた、才能ない、と感じる状態。

計測できることであれば、点数に伸びがない、同じ、という状態。

ここで止めない、続ける、粘るということが大事になってくる。

継続は力なり。

苦しいけれど、自己成長だと思って続けるとその後には必ず「飛躍的な進歩」が訪れるといわれている。

それでも、少しでも進歩を「感じる」「気づく」ということもモチベーションをあげるのに役にたつ。

感度を高め、自己観察をして、自分を励まして見る。

映画のラブストーリーなどには、そんな偶然はありえないだろうという場面にでくわすことがある。さすがにそれは無理な設定でしょうとしらけてしまう。

が、私にもラブストーリーでなかったことが残念だが、あった。

十代の頃アメリカ合衆国に約一年間滞在したことがある。最初に東海岸マサチューセッツ州のボストン近郊にあるアメリカ人宅に行き、長期ホームステイするはずだった。

一ヶ月ほどいたと思う。ここの主人は外国人の私に色んな提案をしてくれるのだが、そのどれも私の気にいるものがなかった。彼はなかなか感じの良いたくさんの職人を抱えるアーリーアメリカンの手作り家具店を経営していたのだが、例えば車の免許を持っていないというと、

「ウチの若いもんに教えてもらいなさい。車はどれを使ってもいいから」

という返事が返ってくる。

今考えると、日本には成人式というけじめがあるが、アメリカではどうも車の免許を持つということらしかった。(私は未だに持っていない!)

特に問題があったわけではなかった。馬が合わないというか、楽しくないだけのことだった。それでここは早々に引き上げることにして、カリフォルニアはサンフランシスコ近郊のバークレーの友人のところへ行くことにした。

こちらは楽しいことづくめで過ごせた。今振り返っても青春の一ページを飾ると言う思い出なのだ。そして帰国した。

帰国後一年たって、その友人が日本に来ることになった。迎えに行ったら、土産話に驚いた。

日本への飛行機で隣りに座った人とアメリカ人の御多分にもれず自己紹介を取り混ぜながら世間話をしたのだが、話しは「ある日本人女性」になっていき判明したことは、

私のことだった!

アメリカはかなり広い。人口だって日本の2倍はいる。日本人のことはまるきり分らぬ東海岸人対日本人のことは日本人以上に勉強している西海岸人が「私」という共通項をもって出会う、そんなことがあるものなのか?

あるのですね。



心に決めて頭にはっきりと描けることは実現できるといわれている。

例えば、「林檎が欲しい」としよう。

あなたはどんな林檎を描くだろう。大きいか小さいか、赤いのか黄色なのか、日本のどこかの林檎なのか外国産のものなのか・・・

この程度の違いはだれにでも描けそうだが本当に欲しいと思っている林檎を追求していくとどうだろう。

そう言われると、林檎の絵を描くことがストップしてしまう。それでは夢が実現しないのではと心配することはない。

例えばコーチはあなたにこう尋ねてみる。

「背景ははどんな色なの?」

林檎を描くことばかりに集中して、これ以上は分らないと思っていたのに、その質問でまた自分から答えが出て来始める。しかも楽しい。

そんなふうにして質問しながら楽しくヴィジョンを創っていくのがコーチングです。



コーチングを受けることでクライアントの「夢が叶う」「成功する」「達成する」・・・そんな結果をコーチもクライアントも期待する。

だがコーチングとは何なのかをクライアントに事前のオリエンテーションで説明してうまく同意できていないと、コーチングが機能しないと思っている。


私がコーチングの数あるスキルの中で一番素晴らしいと思っているのは、「自責で考える」というスキル。

これがコーチングの核だと思うし、もっとも「変容・変化」をもたらすと思っている。


どんなことでも自分の責任だと認識すること。実際このことが一番深い学びになって帰ってきている。

それは突き詰めて言うと、あなたを産んでくれた親、生まれた時からある環境、そんな「自分のせいではないでしょう」と思われることでさえ「自責で考える」姿勢をもつことである。

これは卑屈になったり、運が悪いから諦めろなどと言っているのではない。

自分がこの世に生きている意味をすべて認めることが出来る幸せを意識できることなのだ。

もっと違う言い方をすると、「自分の現状をありのままに受け入れる勇気を持っている」と宣言できることだと思う。

何か不満があると「~が悪いからこうなっている」「時代が悪い」「状況が悪い」「世の中が悪い」と考えがちだ。

人のせいにして現状をみている、自分だけが正しいとおごりをもって見ている自分がいるのだ。

これはある意味、哲学的になったり、宗教的な境地に至ることもあるかもしれない。

「自責で考える」というスタンスから現状を見つめることができると、「では何ができるのだろう」「何を次にしようとしているのだろう」という考えに自然となってくる。

「世の中の人はあまりにひどい」「戦争はなぜ終わらないのか」などと嘆くとエネルギーを失っていくのが感じられる。

「現状で自分にできることは何か」と考えると活き活きしてくるエネルギーが沸いてくる。

私がおめでたい人だと思う人がいたとしても、私のコーチとしての信念は変わらない。

ある有名なエッセイストがマンションを買おうと不動産屋を訪ねた。すると担当員が

「チトフナに良い物件が・・・」と言った。この時点で買うのを即座に辞めたという。

億単位の取引があるかもしれないのに「チトフナ」とは失礼だと。

前々から思っていたが民放全国ネットのテレビ番組でも、出演者が東京都の地名を省略して話していることがある。

チトフナ(千歳船橋)、サンチャ(三軒茶屋)、ニコタマ(二子玉川)等など。

地方の人は分らないだろうし、音的にも響きが滑稽である。

省略して言う言葉は巷にあふれている。小学生から大学生の間では特に顕著かもしれない。彼らがご用達のところは、ヒャッキン(百円均一ショップ)に始まりスタバなど、ほとんど省略された言葉ではないかとも思う。

そういえば一時はアケオメなどの言葉の使い方がマスコミの紙面を賑わし取りざたされていた時期もあった。

今や普通の言葉と認識されかねない勢いがある。

息子が新宿駅の改札口でアルバイトしていたら、

「ブクロはどこでしょうか?」と真顔で尋ねられ、笑いをこらえるのが大変だったという。

そして「ブクロとは池袋のことでしょうか?」と真顔で確認したというので感心した。

私自身も偉そうには言えない。そういえば、省略して使ったことがある、ある。
もう一度自分の使っている言葉を見直してみよう。

人は話の内容を聞いていない可能性があるし、伝わらない思いをすることもある。

しかし、一言、二言の心に引っかかる言葉は確実に印象深く聞いている。

コーチングのセミナーではよく「10年後にはどんなふうになっていたいですか?」
などと、「ありたい姿」を聞いたり、「達成していたいこと」を聞いたりすることがある。

企業などでは「100年後の会社」のビジョンを語ることも珍しくない。

しかし、千年後のことを真剣に考えて生きている人がいると知ったときは驚いた!

山口伊太郎と安二郎兄弟で、進化し続ける西陣織を創っている。源氏物語絵巻図がライフワークのようで、伝統を守りながらも、常に新しい織の解釈を付け加えている。

その探求心はただものではなかった。

何年か前にテレビのドキュメンタリー番組でみたのだが、当時で102歳と99歳だったと思う。2人が交わす夢いっぱいの会話の内容も驚くことばかりだったが、圧巻は、出入り業者の職人が指示通りに創ったという見本ができたので見せにきたときのこと。

期待に胸ふくらませ、飛びつくように織物の小さなきれを手にした。

が、見るなり表情は一変、烈火のごとく激怒した。

「この仕事は何なんだ!見本だからと手を抜いたのか!私は千年後に残る作品を創っているのだ!」

千年後に残る作品!

確かに西陣織の長い歴史を考えれば、千年以上も前の織物を見て研究を重ねているのだから、千年後に残る作品を考えることは自然かもしれない。

千という数字は、近頃では「千の風に・・♪」という歌も流行っているが、百という数字と違って、もはや人間の生々しさが全くなくなる数字に私は感じる。

魂を宿そうとする創作活動に胸が打たれた。
千年後の自分の作品を見てくれる誰かを想像するのは何とも楽しいことだろう。




コーチングを行っていくうえで、人の思考や行動に「決めつけ」をしてはいけない。

その人の歩んできた道のりには、その人が考えて、あるいは考えなしに、行ってたどり着いた結果がある。コーチはその人に寄り添うように話しを聞き、確かめ、その道のりに沿った第三者としての質問を投げかけたり、コーチの直感に訴えてきたことをフィードバックしたりする。

以前にこのブログで、黒川紀章の都知事選出馬表明が理解に苦しむという内容で書いた。

「友人の」石原慎太郎が出馬を取りやめることが最も重要な彼の使命であると言う。政治の場を個人的なメッセージの場として使っていることに、不快を感じる都民がいたとしてもおかしくない。

この立派な世界的建築家である人物の行った奇怪な行動・・・と思い続けていたのだが、ある日一気に謎が解けたように感じた。

ここからは私の独断と偏見による、勝手な決め付け的憶測になってしまうことをまずお断りしたい。何ら誹謗・中傷する意図はない。

あるとき、石原慎太郎の東京オリンピック開催への構想を話題にしていたときに、「あっ」と感じたこと。

彼は環境問題の取り組み先進国としての日本をイメージしていて、世界にアピールしたいという意欲があるのだが、これをやはり世界的建築家である安藤忠雄と一緒にやっていこうとしている。

男と女の関係において起こることがある理性を超えた「嫉妬」!

そういえば、頭脳明晰、身体能力抜群の女性宇宙飛行士が嫉妬に狂って行った奇怪な行動もあった。


この一言を、男と男の間に入れたら、謎解きができたというか、奇怪に思われた行動が、「なるほど・・・」になってしまった。

これはコーチとしてあるまじき「決め付け」か、はたまた「直感」なのか・・・。

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