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「あなたのやってきたことはすべて素晴らしい」 この考え方になると、自分が大好きになります。自分の可能性が信じられるようになります。謙虚になれます。心から感謝できるようになります。 そんな学びの日々を記録しています。
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昨日の辻仁成の妻を絶賛するあり方を書いていて、今度は妻から夫への例を書かねばならないというバランス感覚が起きた。

あるビジネスで大成功している男性の奥様と静かなセレブ御用達の会員制のレストランで一日をじっくりとお話したことがある。

10億円の邸宅や海外の別荘、そのようないわゆる私から見れば桁外れの話のなかでも、とりわけ感動したのがその夫婦のあり方だった。

結婚20年以上は経っている夫の魅力について語ると、彼女自身がキラキラと輝く。幸せのオーラで包まれるている。

ふと、逆のイメージを同様にしてみる。

夫の愚痴、悪口を語ると・・・・その女性はどうなるのか?なんと運が悪いのかという不幸せのオーラがまとわりついてくるのではないかと。

それは彼女の夫がお金持ちだからの余裕でしょうという突っ込みを今感じたのだが、それが違うということを言わなければならない。

この夫婦は安アパート生活から出発している。その時代から変わらない「あり方」なのである。いつもそうだったのである。

例えば、新しいジャケットを着たら、「パパが一番この色が似合う」と言う。心から褒める。何をしてもあなたが一番素晴らしいと褒める。

そしてこのパパはママにもっともっと綺麗にしていてもらいたい、笑顔を絶やさないでいて欲しいと願っている。(綺麗になって欲しいではなく綺麗にしていて欲しいの違いを感じてください)

恐れ入った。これがパパの成功の源でもあったのかと思ったのだがどうだろう。






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調整がつかず、すぐにカラーリングしてくれる美容院に飛び込む。

鏡に向かった私に女性週刊誌がどっさり渡された。ペラリペラリとめくってある記事に目がとまる。

芥川賞受賞作家である辻仁成が妻である元歌手・女優の中山美穂との夫婦生活の模様を核に彼の考える理想の夫婦論を連載している。

夫婦とは謎めいていたほうが長続きする。日常生活を通して見続けてすべて知ったと思うことは倦怠期に陥る恐れがある。何を考えて、何を感じているのかを恋人気分で探りたいがために週に一度は子供を完全に預けてデートしているらしい。この習慣をどんなに締め切りが迫っていても断行しているという。

なぜなら結婚生活という長距離ランナーの孤独はいけないのだとも。

同時に、彼女のことを妻としてあらゆる面で賞賛を惜しまない。うまく言えないのだが、その語り口は明治の文豪がタイムスリップして突如レコーディング・スタジオに現れラブソングを書き下ろしているような不思議な魅力があった。賞賛のフレーズが美しく流れ続ける。

そのひとつに、「彼女は今や僕よりもフランス語が上手です。子供のことで先生に質問したり要求したりしている姿を見ることは素晴らしいのです・・・」彼が語っていたように再現できないが、内容はそのように書いてあった。

私がほんのひと時をご一緒した中山美穂さんは全くフランス語ができなかった。

なんと素晴らしく成長なさったのかと感慨深かった。

随分前のことだが、フランス人と想定した外国人エキストラ30人が中山美穂を取り囲むテレビのCM撮影があった。

私は多国籍エキストラを束ねて、日本人監督の意図を英語で指示する通訳をやった。パリに住んだことがあって、フランス語をかじっているのでなんとか歌なども指導することができて楽しかった。

撮影所にはパリの居酒屋のセットがあり、彼女が生き別れた、今は弾き語りをしているフランス人の父親(クロード・チアリ)と対面するという設定。

"Mais non, papa."(メ・ノン・パパ)「パパじゃない」

この3語を言って終わり。彼女は素晴らしく素敵だったけど、このセリフに関しては違和感が免れなかった。あまり言葉のもつ語感には興味がないのかなと、失礼ながら感じた。

女性は出会う男性によって、さらに魅力が引き出されていくのだなと思った。

■輝き・成長の源には賞賛を惜しみなく続ける人がいる!

もし男性が読んでくださっているのなら、今日の質問:

■あなたは最近どんな賞賛を愛する人に送りましたか?

明日もこの「輝きの源」について!

昨日は情報とは自分に常に問いかけて取捨選択していこうなどとまとめていたが、それでもある程度の情報量は得ようとする。

行動するためには情報量が必要だから。

大衆マス・メディアには特に気をつけたいなと思う。特にテレビでの情報は社会に大きな影響力がある。

たとえば、タミフルでの小さな子供や中学生(服用していなかったという事実も後であったようだが)の事故を受けて、『こんな薬は服用すべきではないし、「みんな」飲まなきゃいいんですよ』と強い調子である有名なコメンンテイターが言っていた。

先月の初めに夫がインフルエンザと診断された。

今日ここで言いたいことは、このタミフルの効能の素晴らしさなのだ。(シ~ンっていうような反応があるのでは・・・。

この薬はインフルエンザの発熱があってから48時間以内では増殖を止める働きがあって特効薬とされている。夫の場合、平熱まで服用から一日半くらい。合計たったの3カプセル。

もちろん、10代の人に関しては分らない部分が多いし、そのショッキングな亡くなり方に、ご家族の方の気持ちを察すると、画期的な薬と喜んではいられないだろう。

しかし、一方では毎年多くのお年寄りがインフルエンザで死亡したりするのだが、その人達の服用の実体はどうなのか?情報が伝わってこない。

働き盛りの人や大人が、この薬の恩恵を静かにこうむっているにちがいない。高熱での苦しみを画期的に短縮してくれる素晴らしさは、少なくともテレビからは全く聞こえてこない。

とかくマス・メディアは「悪いこと」「うまくいってないこと」「批判」「中傷」「もめごと」を取り上げるのは承知であるが・・・。

「若い女性が一人で日本に住むと殺される」とイギリスでみんなが口々に言ったとしたら、こんな悲しいことはない。

そんなことを少し気をつけながら、たくさんの情報を取り入れたい。

なんだか、硬い話題が続いたようで、明日は中山美穂さんの輝きの源の話題にします!

情報化社会と言われて久しい。

私達は普通に暮らしていてもおびただしい情報に囲まれている。ある人は新聞・週刊誌は全く読まず、テレビを見ないという。それでも政治・経済・社会・スポーツ・芸能にいたるまで、世の中が騒いでいるような話題を合わせることができるという。

なぜなら電車に乗れば吊るし記事に嫌でも目が行き、見出しだけで想像がつく。テレビの内容は大きな事件であれば口コミとなってしまう。そんな程度のものは、それぐらいのエネルギーしか使いたくないということらしい。

しかしネットでの検索は押さえているという。検索技術の違いは恐ろしいほどで、どうしてここまでの情報を得たのかと驚かされる検索達人もいる。

プロがネットからそのまま他人の文章を剽窃してくる事件もある。

小泉さんが総理大臣になったとき、メルマガを発行したとテレビで伝えたことがあった。自民党支部に駆け込んだ小泉ファンのおばさんが、「メルマガを一部こちらでいただけますか?」と聞いた。この時点で笑いをとれる時代ではなかったようで、

「それはこちらにございませんので、本部に聞いていただけますか」と丁寧に返答された。

あれから、何年たったのだろうか。携帯電話の是非なんていう話題も、文化人は概ね否定という立場で新聞紙上をにぎわせていたことも思いだす。あれから何年たったのだろう。今同じテーマで盛り上がりは期待できるだろうか。もう携帯電話のマナー論に進化している。

周りの情報は常に動いているし、確かに大事な情報もある。絶対知りたいことは追求していくつもり。でも振り回されたくない。

今日の気づき:

■自分が本当に大事と思っている情報は、常に自分に問いかけていくことで得られる。 情報氾濫にふりまわされることはない。

明日に続く・・・・

ピアノ音楽が好きなので、よくピアニストのインタビュー記事を読む。
記者がやっきになって、そのピアニストの一番好きな、あるいは一番偉大だと思う作曲家の名前を引き出そうとする質問をすることがある。

「もしあなたが無人島に行くとしたら、誰の楽譜を持っていくのですか?」

そして、ベートーベンとか、モーツアルトとか、やっぱりバッハでしょうかとか、素直に答えているアーティストがいたりする。

私のお気に入りのピアニストはこう答えた。

「楽譜は持っていきません。すべて頭に入っているので・・・」

クラシック音楽の楽譜は相当に複雑なので、この場合記憶力、暗譜力、音楽の読解分析に並々ならぬ自信があるのかと驚くべきなのか・・・。

しかしながら、「何も持っていかない。すべて頭の中にある」という言葉がやけに気になった。

飛躍してしまうが、「教育って何ですか?こんなもの覚えても何の役に立つのですか?」というこれまた対極にあるような質問がある。

どこかで誰かが書いていたが、「大いに勉強し大いに忘れ去ったとして、残ったものがあなたが受けた教育だ」とかなんとか。言葉のニュアンスは大分違うと確信するのだが、言いたいことはそんなこと。

途方もなく無駄な経験と思われるものがどこかで残り、何か別の「残り物」と結合してひらめきに変わったりする経験がないだろうか。

いずれにしても、人生「残り物」で勝負するっていうか・・・自信さえも「残り物」にほかならない。

時には不純物と混合しながら、何がどう濾過され沈殿され、残るのかが分らない。しかしすべてが自分を創っている。

すべての体験や学習に無駄なものはない。

今日の教訓:

■あなたのやってきたことはすべて素晴らしい!




コーチングでは目標を設定するとか、目標に向かってとかいう言葉が多くなってしまう。目標がないと夢は実現しないのか?

そんなことはない。新聞で石田衣良が自分が作家になるまでの経緯を語っていたのが興味深い。

彼は大学を5年かけて卒業して成績は「優」がわずか2個だけ。就職できるはずもなく、念頭にもまったくなかった。

とにかく好きな読書三昧で楽しく暮らして、経済的にはバイトなどで繋いで、30歳ぐらいまでに何か職を得ていればいいぐらいの気持ちだったとか。

これは物凄い。人としての「あり方」(being)一本で自己実現している例ではないかと思った。自分はこの一回きりの人生をどうありたいのかを知っていた。それを忠実に実践しているので、迷いや不安もない。

作家の多くが「書く」ことより「読む」ことが大好きだと想像する。
寝食忘れて、本を読む。楽しい。やがてインプットが溢れ出しアウトプットに移行しても、ごく自然だろう。

瞬間瞬間を楽しむことができる、今をおろそかにしない、精一杯に自分らしくいることは人生の目的を自覚している人が手に入れられること。迷いや不安があると、「今」を楽しく過ごすことはできない。

作家という職業は一般的ではないので、この話は役に立たないと思っている人もあるかもしれない。そんな好きなことばかりやってはいられないと。

しかし彼は自分の生きる道を選択したし、迷いがなかった。自分を信じていた。

自分で自分をきっちりと肯定できる強さは、誰に何を言われても揺らぐものではない。好きなことを貫き通してやる人はたどり着くところは好きな場所であるのだなと思った。

本当は嫌なことを我慢してやり続けていると、つまり自分らしくない自分でいると、たどり着くところは最も避けたかった場所になるのだろう。う~ん、これは怖い!



■「われわれの探検のすべての終わりは、出発点にたどり着き、
  その場所をはじめて知ることだ」(T.S.エリオット)

■目標も大事だが、「あり方」に焦点を当てると自分らしく生きれる。



なんでもいいから、ランダムでもいいから、やりたいと思っていること、欲しいものでもいいから書いてみるということをお奨めした。

頭の中、つまり脳は、私達が想像する以上に「頭がいい」らしい。

膨大な情報が激しく行き来している。何気ない話をぼーっと聞いていたとしても、「この話は果たして面白いことなのか、役にたつのか、時間の無駄にならないのか、正しいことなのか、悪いことではないのか」などなど瞬時に判断しようとしているらしい。

そして一方、心は感情の波によって豊かになったり、貧しくなったり、幸福感に浸ったり、不安に襲われたりしている。

そんな膨大な自分に関する情報を統合して、自分が分ったような気になっている。実際わかっている賢者もいるであろう。

リストアップして頭の中にある自分の願望を取り出して見ると、行動に移すことに集中できる効果がある。結果、リストアップした事柄が叶う。

リストアップは頭の中の「交通整理」。実際のところ賢者のノートであるとかメモとかの記録をみて驚く。こまめにメモしている。書いている。

早速リストアップしたというクライアントさんがいる。短期的でも長期的でも、とにかく書いてみたという。「早速一個達成しました!」という嬉しいお知らせ。チェックをいれる喜びも加速する。

■自分の願望はリストアップすることで意識され達成が加速する

「人生最後の晩餐にあなたは何を食べたいですか?」

という質問が料理研究家の城戸崎愛に向けられた。今は血糖値が高いので控えている大好物のアナゴの天丼をガッツリ食べたいと願望もあるが、最終的に選ぶとすれば、

「・・・やっぱりあたたかい白いごはん」

と答えた。

前にも書いたがお笑い芸人が貧乏体験をネタに語るとき、唯一のごちそうとして登場する「白いごはん」

いろんな味覚を開拓しながら料理の研究に明け暮れる人にも、日々の食事に事欠く人にも、「白いごはん」は魅力的に映るものなのだなと思った。

昔あったTVコマーシャルのキャッチコピーではないが「何も足さない、何も引かない」味。

戦国時代の戦場へ向かう道中で、「あたたかいごはん」を食べたさに、白い煙が出ることを敵に悟られないよう注意しながら炊いていた。(本当に最後の晩餐になった人もいるわけだ)


もっとも日本人みんなが最後に「ごはん」を選ぶだろうと決め付けることはできない。

ふと、ある人のことを思いだした。ドイツで働いていた時の日本人の同僚の女性のことである。彼女の家は鹿鳴館時代からの伝統を頑なに守っているかのようなご家庭で育った。

家は古くから田園調布にある完全な洋館で、畳の部屋を知らないという。もちろん両親とも日本人である。当然カトリック教徒のキリシタン!

彼女が大学生の時、日本文化に興味を持ち、茶道クラブに入ろうとした。その時、母親は猛反対で止めるように言ったという。「そんな床に座るような野蛮なものはいけません」

野蛮!!私は仰天してしまった。そういえば、彼女は日本食を食べたいと懐かしがるようなところはみじんもなかった。パンをちぎり、うつむき加減で小さな口に押し込んでいた彼女の姿が目に浮かぶ。親はリッチな昔風の洋物かぶれという風体で写真に納まっていたが、彼女自身は質素で敬虔で厳格で飽食を好まない。

最後の晩餐に何を選ぶのか聞いてみたいのもだが、結果は人それぞれということに違いない。

私とて「白いごはん」と言いきれるところまでは来ていないなあ・・・とは言え、和食ではあると思う。主菜に副菜にと、あっお酒も少しと、・・・そうだ最後はシャンパンだけでいいわ・・・とかまだまだ欲と迷いがある!





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