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「あなたのやってきたことはすべて素晴らしい」 この考え方になると、自分が大好きになります。自分の可能性が信じられるようになります。謙虚になれます。心から感謝できるようになります。 そんな学びの日々を記録しています。
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日経新聞の「私の履歴書」はいつも興味を持って読んでいる。

セブンイレブンの鈴木敏文の妥協を許さない商品の質へのこだわりのエピソードが面白かった。

当時のベタつく「そこそこ売れているチャーハン弁当」に対して、その時代の人々の変わりゆくニーズも敏感に察知しながら、断固「NO」を突きつけたのであった。

「こんなものが売れていることにこそ危機感を持つべき。売れれば売れるほど信用を失っていくのだ」と。

ある日店頭からはチャーハンが消えた。そして「パラっとした食感」を求めて、火力の強い調理設備を開発するというスタート時点からやり直し。

1年8か月という歳月をかけ、11回連続NGの試作の末、12回目にやっとOKがでたというから驚いた。

感覚頼りの開発を数値化によって目標を明確にして壁を突破したという。

妥協したときにすべてが終わる。印象的な言葉であった。

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とうとう「プリズン・ブレイク」を最終回まで観た。全12本。

ところが、これはシーズンⅠが終了しただけだった。なんと脱獄が成功した後は今度は「逃亡者」となるシリーズに続行するらしい。一緒に脱走するはずの仲間がお金を隠してある秘密の場所を主人公に告げて亡くなってしまった。

その資金を使って逃亡生活が始まるのだろう。新シリーズを借りようと思ったらまだ入荷されていなかった。

気分をフランス文芸作品に変えたつもりで、結果何も変わっていない、「岩窟王」を借りてきた。つまり、これまた17年間の無実の罪で独房に入れられて、脱獄後には復讐劇を展開する。やはり秘密の場所に宝の山がある。

監獄に入れられる話は、主人公は絶対に「不条理」と戦っていなければならない。こんなにいい人なのに、こんなにひどい目にあわされているという不条理。

ここに観ているものは感情移入をする。

映画版「岩窟王」はデュマ原作とは違った人物設定や人間関係に変更してある。

入獄前に婚約者だった意中の女性が主人公を陥れた貴族の友人男性と結婚してしまう。その一人息子が本当は主人公との間に生まれた子としている点が、すばらしい。

つまり、最後の敵との決闘の末、主人公と女性と息子が残ることになるのだし、実に合理的に「幸せに暮らしましたとさ物語」で終われる。

附録として特典映像があって、脚本家が映画的創作について話している。
この「実の子アイディア」をひどく気にいっていて、なんでデュマはこの理想的なアイディアに気がつかないのだなんて言っている。

まさにコーチングでいう「相手にとっても私にとっても良い結果へと解決しようとする」この脚本家の創作力が微笑ましい。

ここまで書いてきて、大筋ストーリーとは昼メロも変わりがないと気がついた。何が違うかというと「その物語をどういうふうに伝えたいのか」ということだろうか・・・。


学習欲という言葉を聞くと思いだすのが、意外かもしれないが、デイヴ・スペクター。

誰も笑わないギャグで有名。海外ゴシップ収集窓口担当。テレビ・コメンテーター。本業はテレビ・プロデューサーらしい。

彼の日本語への執念はすさまじいものがある。各部屋には、トイレにも辞書を置いてあるとか。

もう7,8年以上も前になるが、私の知り合いが英検一級の試験を受けに会場に入ったら、デイブがいた。普通この手の試験会場のクラスは隣の人と私語を交わすこともなく緊張感で静まり返っている。

それが一気に盛り上がったという。

その後テレビを観ていたら、「僕は英検一級もっているんですよ」と言って場を笑わせていたのだが、それがギャグというより本当なところがすごいと思った。

飛び込みで受験はできない。事前に手続きをする必要がある。彼のような売れっ子が、思いつきではなくて、その日を予定にいれたという点に驚いている。

もうひとつ感心したことがある。

外国人にとって日本人のカタカナ表記の英語は頭を悩ませることにちがいない。時には意味がぜんぜん違う。たとえば「テンションが上がる」という意味はやる気や集中力が上がっている状態をいうと思うが、英語のtensionとは緊張。

そういうカタカナ英語は間違いがあったり、英語として通じないということはみなさん重々ご存じだと思う。

しかし何がびっくりしたかというと、日本人の間違った「発音」まで取り入れていることであった。

war (戦争)を「ワァー」という人が多い。綴りがそう見えるから。これはカタカナで発音しても絶対「ウォー」。

彼はある日「アカデミーアワード」と言った!
awardと書いて「アウォード」のほうが近い。「ワァー」という音にはなりようがない。

ここまで日本語に接近しているのかと。

チャラチャラしていそうな軽いノリのデイブであるが、水面下での努力に敬意を払っている私です。



「今のあなたの人生または生活に点数をつけると何点ぐらいですか?」

「そして1年後には何点になっていればいいと思いますか?」

というような現在と少し先の未来に対して数値化してもらって、質問する。

お金や体重などの数値化できるものなら簡単だけど、これは難しいなどとつぶやきながらも答えを出す。

コーチングのセミナーでよくある参加者の風景である。

自分に厳しい人は点数が低いし、現状が思わしくないと思っている人も点数は辛い。

しかし、である。

ほぼ100パーセントの人が現在よりは高い点数を「将来」につける。

本能的といっていいい。

だれでも良くなりたい。

やる気のある「勝ち組」だけが明るい将来を夢みているわけではない。上司からみたら、やる気がなさそうな「負け組」タイプと決めつけられた社員でも、その胸の内には「やっぱり将来は良くなりたい」と思っているのである!

適切に持てる力や能力が引き出されることが成功への道なのだろう。教育の本来の目的。

当たり前を再確認:

■ どんな人も将来は良くなりたいと思っていることを肝に銘じよう!
小学校に入学して、初めてコンプレックスらしき意識が芽生えたと記憶するものがある。

鉄棒ができなかった!

できなくて、最後に残された生徒だったような気がするし、とにかく先生の気長なサポートがあったのだが駄目だった。

風景が逆さまになるとき、すごく怖い。腕力に自信がないし、なんであんなにみんな回転できるのよ~って感じ。

足は速くてリレー選手だったりしたが、それは「歩く」とか「走る」というのは、もともと身体に支障がない限り、だれでもできる日常的行為に基づく運動能力に感じていたし、「恐怖心」が起きる隙がないではないか。

テレビドラマなどのセリフにも「私、実は鉄棒ができなかったの」という告白をはさんであるものに、2度や3度であっている。

登場人物のキャラクターの過去を想起させるには、重要なファクターなのであろうか・・・。

聴衆が「鉄棒のできなかった女性」に対して感じるものが何かあるらしい。

ところが、最近知って驚いたことがある。

鉄棒というのはフランスの軍隊が軍人教育の訓練の一環として行っていたもので、世界中の義務教育の中でとりいれているのは、日本だけだったらしい。

そういえば、広いグランドに鉄棒が段階的に置いてある風景を海外で見たことがないのだが、どうだろう・・・?

このことを知ると、鉄棒ができないなんて、どんな意味があるのよと強気になってきてしまう私である。
電車のプラットホームでのこと。電車の入口近辺では到着を待つ行列ができていた。先頭に目の不自由な男性のお年寄りがいて、電車が到着すると、さかんに白いステッキで入口を探るのだが、20センチはずれている。

時折電車とホームの隙間にステッキが入りこみ、なんとも危なかしい。すかさずすぐ後ろにいた女性が背中に手をまわして入口に誘導案内されたので見ていてホッとする。

さらに中に入るとかなり混みあっていた。

そのお年寄りを見た人が席を譲り座らせた。

終始一貫して、そのお年寄りは顔の表情が硬く、さみしそうでいて怒っている。もちろん感謝の言葉はなく押し黙っている。

例えば席を譲ろうとして声をかけたら、「次で降りますので結構です」と言われたりすることがある。(笑顔で言われたり、「ありがとうございます。ですが・・・」と言われるともっと受け入れ易くなるが)

あるいは、その人の忘れものではないかと思って声をかけたら、怪訝な顔つきで「違います」(そんな変なもの私のものであるはずないでしょという響き)と言われたり。

何を言いたいのかというと、人がどんな反応をしたからと言って自分のしたいことは変わらないし、傷ついたり、ムカついたり、損したとか思わないこと。

「人に感謝されたいから何かする」なんていう気持ちが強いと、感謝されるべきだとうことになってしまう。そして結果が感謝されないと不満に思ったり、人は間違っていると思ったりしてしまう。

最後には人によって反応して、顔色を伺いコントロールされることになる。
同じ行為によって、あるときは「最高」あるときは「最低」。

自分で決めたことを自分がはたして気持ちよくなることが軸をぶらさない秘訣だろう。
アメリカでSecond Life という3Dゲーム・サイトがあって、バーチャルな世界空間を提供している。住人として登録して、自由に生きるアバターのような自分を作って着せかえたり、自分のほしい家を建てて住んでみたり、好きな場所へ行ってみたりして遊ぶことが流行っているという。

「今日は南のパラダイスのような島に出掛けよう」とかできるわけで、素晴らしく奇麗な海をながめて冷たい飲み物など飲みながら海岸にいる自分を創造して想像することができる。

コミュニケーションも他の住人ととれて、セリフをいれたり、自分の声で歌を歌ったものを入れたりできるという。その歌がヒットすることもあるとか。新しいビジネスになる可能性がある。

不動産業界も参入していて、いろんなモデルハウスを提供して人の反応を見ることができるので、マーケティングに使っているとか。

早速調べたら、日本にももうじき上陸するらしい。

まだよく分らないが、コーチングで「ビジュアライズ」してみたり、理想の自分をイメージするのに使えるツールではないのかなと思った。


昨日は、日中はコーチング・セッションで、夕方からは企業英語研修へ。

私のクラスは全員新人男性社員。TOEIC特化クラスで、リスニングを中心にやった。

長文の英語のナレーションを聞いてから、その内容についての3つの質問を受けての答えを選択するという問題をやってみた。

クラスレベルはあまり高くないので、長い英文を聞くことはかなりきつい。

真剣に聞いて、取り組んでいる様子だった。しかしながら、ハードルは高い。みんな、「これは無理だよ~」的な雰囲気。

回答を各自に渡してチェックしてもらう。

「3問とも正解の人は?」と聞いたら、一人が挙手した。そんなすごい同僚がいるのかと愕然とする気配も感じたのに、

「素晴らしいですね!内容のつかみはいかがでしたか?」と聞いてしまった。

「いや~。カンでした」の控え目な答え。

ここで、「なーんだカンですか」などとは言ってはならいし、みんなのムードも変えたいと思い、

「三連単、当てましたね!」

と言ってみた。これが男性新人クラスに大受けしたのである。

聴衆を笑わせるというのはプレゼンテーションスキルの中でも最も難しいことと聞いている。

初めて笑いがとれたような気がした。

その笑いがあってこそ、みんなが気持ち良く、無条件で純粋に、3問正解の同僚を褒めたたえようという方向性の一致が成立したと思う。

カンでもいいから、みんなで楽しく頑張って正解を取っていこうよ、というような楽観性も。

「これは無理だよ~」とか「諦めるしかない問題」とかいう雰囲気をガラリと変えてくれた。


女性クラスだと、しらけてしまうに違いない競馬用語であった。最近ではお笑いコンビの爆笑問題の一人が、この馬券を買って大当たりしている。それを知ってピックアップした付焼刃な用語である。

性別も年齢も育った環境や教育も違う人々とのコミュニケーションで、コーチング・コーチとしては、なんとか共有できる言葉を知りたいと思っている。

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