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「あなたのやってきたことはすべて素晴らしい」 この考え方になると、自分が大好きになります。自分の可能性が信じられるようになります。謙虚になれます。心から感謝できるようになります。 そんな学びの日々を記録しています。
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「私は完全主義者です」

「120パーセントの能力を出します」

「いつも完全な仕事を提供することを肝に銘じています」

こういう言葉を時によく耳にする。いつも「完全・完璧」を目標としていて立派だなと思う。どこまでも妥協を許さずに追及していく姿勢。

完全ということは人の一生を費やしても到達することはない。結果はもう分りきっている。「完全」なものとはこの世に存在しない。

全知全能の~と言えば「神」しかいない。その神は実在してはいないからこそ全知全能が保たれ、信じられる存在なのだろう。完全な人はいない。

目に見える実体や行いの中には「完全」など存在しない。

しかし、完全を目指しているんだと感じながらものを創り、事を行うことはできる。

この姿勢のことを「あり方」(being)という。

コーチングは目標に向かって達成するプロセスを促進する会話をもつことだと、かつてこのブログで説明した。

目標とは具体的な事柄になる。自分の「あり方」を明確にしていれば、ひとつの目標が達成したからといって、燃え尽きたり、虚脱感に襲われたりすることがないはず。

具体的な目標も大事だが、「あり方」も・・・もっと大事かもしれない。

■ 目標を達成していくプロセスで、
  自分の「あり方」を認識すると、さらに力強い。

■ 特に目標がないという人でも、「あり方」を明確にし意識すると、
  日々の行いの質が違ってくるかもしれない。

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「最高の一日を過ごす」というコーチングのワークシートがあるのだが、これは考えるとなかなか面白い。

本当に自分にとっての「最高の」一日とはどんなものか?

日々緊急な仕事をやり過ごし、なぜか合間に重要でもないことに時間を注ぎ込みながら時は過ぎる。そして床につき、翌日の朝が同じようにやってくるばかりではなんともつまらない。それにストレスがたまる。

ここで、「では、みなさんサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」でお馴染みの映画評論家、故淀川長治氏の言葉が思い浮かんだ。

彼は朝、目が覚めたら、

「今日は○○年○月○日、この日は僕の人生で二度と来ない。
 だから今日一日はニコニコしていよう」

と声を出して言うのが習慣だったという。

なにか朝礼を自分自身でしている感じなのだが、これは素晴らしいと思う。

その日一日、ひいては瞬間瞬間の自分に満ちたりながら過ごすという豊かなイメージがある。

静止した淀川長治さんのお顔立ちはメガネで分りにくいかもしれないが、結構鋭く厳しい感じがするのだが、頭に浮かぶ彼の動く顔立ちはニコニコしているなと思うと、彼のこの朝の習慣は、彼自身を知り尽くしながら自ら生み出し、習慣化して得とくしたプレゼンスではないかと思ったりしているのだが、考えすぎだろうか。

そのような勝手な推測が本当だったら、彼はさらにすごい人だと思ってしまう。

彼についてはいろんなエピソードがあって、そのつど物凄いプロ意識の高さを学んでいるのだが、これはまた別の機会に。

とにかく、

最高の一日をお過ごしください!
コーチングとは何ですかと聞かれたとき、「目標を達成するための行動計画をたて、コーチング・カンバセーションをすることで次にする行動を促進することです」とか言ったりもするが、よく出てくるフレーズとしては、

「答えはあなたの中にある」

「あなたらしい生き方をするため」

「後悔しない人生を送るため」

「本当にしたいことは何か知るため」

・・・そのことを一人で考え実行していくよりも取り組みが促進されます。それは、客観的な立場で質問してくれる第三者と、目的を持って会話するからです。などとも言っている。

これらは「話す」→「気づく」→「行動するその①」→「振り返る」→「気づく」→「学ぶ」→「行動するその②」→・・・というようなことになっていく。

手っ取り早く正しい「答え」を教えてもらって間違いのない行動をしたい事柄もあろう。その場合はティーチングされているということになる。新入社員などをイメージすると、ティーチングの必要性は明らかである。

しかしティーチングしていれば人は教育できて育っていくかというと、学校教育現場でさえ、それでは十分ではない。

人がモルモットやITロボットであればティーチングで立派な教育・育成ができるかもしれないが・・。

ティーチングだけでの育成には限界がある。教師はティーチャーでありコーチであって欲しい。

イギリスの作家バーナード・ショーは

If you teach a man anythig, he will never learn.

と、他人をいかに強制しても教えることはできないと、ちょっと皮肉をこめて表現しているフレーズをNHKのビジネス英語4月号で発見して引用させていただいた。

つまり「学び」は積極的、自主的努力にほかならないということなのだが、ティーチングでさえも教えられればば学べるということはないということになる。

だから答えを待っている人にはコーチングは効果がないのは火を見るよりも明らか。30分のセッションを積極的に主役となってデザインすることのできる人は驚くほどの効果がある。

自分だけでは考えてもいなかったことが輪郭をもってはっきりしてくる。この答えこそ

「答えはあなたの中にある」

なのである。


■ティーチングもコーチングも、その用途によって使い分けて豊かな人生を謳歌しよう。

■ティーチングもコーチングも、自主的でない限り「学び」は少ない。




先週末は日本コーチ協会の埼玉チャプターの定例会で2時間のセミナーをファシリテートさせて頂きました。

テーマは「思い込みをなくして身も心も軽くする!」。

ここでは思い込みについてまでは詳しくは説明できませんが、ひとつのポイントだけ紹介します。

人は何かが自分の身に起こる、あるいは周りに起こっていることを見ると、その結果として「最高だ」とか「嬉しい」とか「がんばるぞ」「悲しい」「へこんでいる」「怒っている」とかさまざまなことを感じます。

例えば同じことがAとBという2人に起こったとします。その結果、極端な場合正反対のことを感じることもあるわけです。

そこで私は、最近自分の貧乏体験をネタにしている芸人がいるのに注目。この人が売り物にしている「事実」を取り上げてみました。

●小学校のとき父親が事業に失敗。全財産を失う。
●家は差し押さえられ、公園の土管の中で生活したことがある。
●土管の中で生活していると、子供に覗かれたりした。
●唯一のごちそうは白いごはん

以上の事実が彼の話術にかかると、聞いている人はみんな笑い始めるのです。
恐らく別の人が以上の事実を生い立ちとして悲しげにつらそうに語ったとするとみな同情するでしょう。

何がこんなに違ってくるのかというと、その事実にたいしての解釈が違うのです。

つまり事実とは、それがどんなことであっても、それを受け止める人の「解釈」で違う感情の結果を生むということです。

事実は悲劇にも喜劇にも、それを語る人の解釈によって変わるという話をしました。それは「思い込みを取り去るワーク」に取り掛かる前段階には必要なのです。

今日ランダムにTSUTAYAで借りてきたDVDを見たら、私の例えと少し似ていたのでびっくり。ウッディ・アレン監督の「メリンダ・アンド・メリンダ」というもので、悲劇の女性メリンダと喜劇の女性メリンダの同じ女優演じる2人が、同じシチュエーションで展開する悲劇と喜劇(楽観)の2つの物語でした。

それにしても、同じ女優で、悲劇バージョンではいかにもやつれていて、また演技のうまさもあってか別人のようでした。

今日の学び:

■やっぱり自分が輝くような事実の捉え方をしたいものです。

→事実は事実でしかない。「解釈」があなたを方向づける。






訪問客や宅配便以外でのインターフォンはあまり好きではない。

「招かれざる客」とは、欲しくもない商品の勧誘であるが、丁度欲しいと思っている人もいる。だからこそ続いているのだ。

しかし、これはどうだろう。

「ピンポ~ン♪
 こんにちは、○○○教です。何か悩みはございませんでしょうか?」

どう答えよというのか・・・。

「いいえ、結構です。只今取り込み中で手が離せませんので失礼いたします」

と私はきっぱりと、少し慇懃無礼かなと思いもするがその場で断ってしまう。

それでもこの行動様式は昔からある。

ということは「はい、悩みがございます」と答える人がいるのだろう。


一口に悩みといっても、レベルは軽いものから重いものまで様々あるが、悩みが全くないという人はそんなにいない。

だからといって、「怪しいものではございませぬ。バックボーンは宗教でございます。ですから悩みはございますでしょうか」と自信を持って言われても、「私はその宗教を存知ませぬ。あなた様も存じませぬ。どうして心を開けましょうか。悩み相談の発注なんぞは怖くてできませぬ」となるわけだ。

土足で上がりこんでくる突然の見知らぬ訪問者にでも相談したい悩みがあるとすれば、それは悩みの中でも切羽詰ったよほど重症のものが多いのではないかと危惧している。

今日の学び:

■信頼関係が成立してはじめてお互いのための会話ができる。



■相手を思いながらも、ぶしつけなことを言ったのなら、信頼関係に立ち戻ろう。

ボケと突っ込みの2人のお笑い芸人というのが最近多くて、名前もあんまり覚えられない。

ネタの面白さで売れている2人がバラエティー番組などで自由なトークになると面白くないこともある。

タレントに混じってお笑い芸人がいたりして、急にコメントを求められても、まるで用意していたかのように人を笑わせることが出来るのが芸人である。

臨機応変に対応して即興演奏を聴くが如く流れる。

すきまが出来ない。

停滞を感じて「何も面白いことないの?」と思い始めるのは一秒過ぎた頃。

優れた芸人は得意のネタ以外で、いつでもどんな話題を振られても、人がどっと笑うようなことをすぐに提供しなければならない。

まるで緊急事態が発生している状態でのビジネス。

天性の才能もあるだろう。

それでも練習という避難訓練を常にしていると思う。

実力が試される即興対応力。

アウトプットは相当量のインプットに支えられているのだろう。


お笑い芸人から学ぶ今日のポイント:

■ いつ何時必要とされても提供できるものが実力。

■ 実力とは膨大なインプットに支えられている。

「知識は力なり」とかいう諺があったが、知識ということに関して本当に助かったという経験がある。

人は緊急事態に、一番その人の本性がでるということらしい。そのことは「さあ、あなたの才能に目覚めよう」という本にも書いてある。

しかし、である。緊急事態の直前に、知識があったかなかったかで結果が大きく違ってくる。

独身のときのある夜に、実家で母親と過ごし眠りについた。親が別居していたわけではない。たまたま新築でもったいないからとそんなに遠くはない別宅に父親は泊まっていた。

その夜、ドカンという不気味な爆発音があり階下へ見に行くと、風呂場の窓越しに隣りの建物の最も奥の部屋の窓から発火している。激しい炎が見えた。その激しさは猛スピードで静かに進行していく。もうすでにその場でさえメラメラと恐ろしい熱気が伝わってくる。

母親は恥しいことだが腰を抜かした。見るなり、すべてを失う恐怖に襲われたようだった。この火の勢いでは時間の問題で引火してしまう。

とにかく電話をして消防車が来るのを待ったが、その間私がしたことは寝間着を一番好きな服に着替えておしゃれし、なぜかパスポート(その時唯一の身分証明書)をポシェットに入れた。

消防車が次から次と到着して消火活動を開始。

消防団員は時々起こる爆音に怯えていたのが分った。一斉に消火活動するが、火元に届かず意味をなしていない。でも私はどこから出火しているかを知っている。どこの部屋なのかが分る。(その家はビルで無人であった)


全体の活動を見た後これではいけないと思った。
それで私は消防団員をなんと誘導したのだった!

そして誘導された消防員が消火活動するやいなや、あっという間に鎮火。

翌日の朝日新聞の地方版の一面トップはその火事のことだった。そして名前入りで私のコメントが入っていた。発火時間も正確に覚えていた。その時間がそのまま記事に書かれていて嬉しかった。というのは新聞記者が鎮火後に近所の人にインタビューしているのが聞こえたのだが、全く違った時間(驚くほど違っていた)を言っていたのを聞いたからだ。

ここまで読んだ人はなんと落ち着いた対応ができる人なんだと感心するかもしれない。実際のところ翌日は電話がやむことなく、無事を喜んでくれると同時に感謝状はいつくるのかと聞かれた。

実は火事のあった直前の夜NHKの特集テレビ番組「千日前ビル火災を検証する」とかなんとかの緊急時に何が必要なのかをうんと叩き込まれていたのであった。

一人がパニックを起すと事が大きくなるらしい。

正しい判断とは何か、緊急時には誘導する人が必要とかなんだかんだという「知識」があったのだ。

これはテスト直前に見た漢字がそのまま出題されたとか、一夜漬けで結構良い成績を修めることができた、ぐらいのことかもしれない。


地震がちょっと大きいと騒いでしまう私が本当の私。なんともはや・・・。もっと勉強しようっと・・・。

元宝塚で大物俳優の、聞けばもう51歳の大地真央が10歳以上年下の世界的インテリア・デザイナーと婚約したという。

最近耳にする芸能人カップルには、「エッ」と驚く組み合わせが多くなったように思う。そこに変化していく時代を感じる。

時代を感じているというと、客観的な検証に聞こえる。が、「エッ」と感じて受けとめたときに、自分の潜在能力の地下深くを震動させてもいるのだ。

特定の人に愛だの恋だのとは無縁となり、加齢に逆らえるはずもない容色のかげりを受け止めている大地真央世代の人は「エッ」と小さく叫んだ後は、わが身を振り返る。

くだらないとは言ってられない。お前と大地真央とでは比較にならないだろうという方向に持っていくと学びがない。

もう亡くなられてから大分経つが、森瑤子は作家になる前は不完全燃焼気味な専業主婦だった。

ある日「エッ」と驚いた。

版画家である池田満寿夫が芥川賞をとった!

だれでも、いつからでも、小説を書いてもいいのだと「知った」ことが刺激となった。それまでは「ありえない」とされていたことが「ありうる」ことを知ったのだ。

「やっぱりありえるんだ」と元気づけられる効果。

そして新たな自分が引き出される。新しい行動をとってみる。ハートに火がついた。


もっと綺麗になる努力をしようとか、独身の女性なら、年上ばかり見ていた人が新たなる選択肢を持つきっかけにしてみるとか・・・。


たくさんの「エッ」を持つことは若さの秘訣とどこかで読んだことがあるし、また別のジャンルの本では、「驚きは感性を磨く」ということも読んだことがある。

拡大解釈すれば、偉大な発明家とは当たり前と思っていることに、ただ一人「エッ」と驚いた人ではあるなと思う。世間を騒がす事象に対してではなく、当たり前のことに驚くというところに気づきの偉大さがあるのだろう。

今日の学び:


■「エッ」の驚きはあなたの潜在能力を引き出すきっかけ





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