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「あなたのやってきたことはすべて素晴らしい」 この考え方になると、自分が大好きになります。自分の可能性が信じられるようになります。謙虚になれます。心から感謝できるようになります。 そんな学びの日々を記録しています。
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あれもできていない。これもまだ。
いったいどれだけの時間があったら次へ進めるというのか・・・・

などと自分の現状に苛立ちを覚え、前へ進めなくなったことがないだろうか。

何をやればいいのかを整理して集中すればいいのだが、それができるきっかけをつかめない。そういう発想に及ばない。

今の「情けない自分」という、自分を否定している状態から抜け出せないでいるから。

ではどうするか?

「情けない自分」を肯定することができるとすっきりするはずなのです。

苛立ちがあるのは「情けない自分」が現実にいるのに、それを頑として認めたくないからではありませんか?

試しに、例えばあなたが大変怒っているとします。

そんなときに、怒ることは良くないことなので、厳しい調子で「怒っては駄目!」と言われるときと、気持ちに添ってやさしく「本当に怒っているんですね」と言われたときとを較べてみてください。

これを自分で自分に言ってみるのです。

自分をすべて肯定してみた後には、少し客観性がでてくるかもしれません。

「厳しい感情」から「楽な感情」に変化していくはずなのですが・・。現状を肯定するとは、言葉を変えると「素直になる」ということに近いかもしれませんね。


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時々企業で英語を教えている。今日は新人研修の一貫としてのTOEIC特化クラスを2時間ばかりやってきた。

新人君の学習への取り組みの様子を見ることも勉強になるし、密かにコーチングのタイプ分けをしながらコミュニケーションを試みたりしている。

ちょっとコーチングを使った。自己紹介をしてもらうときに名前と学習の目標を宣言してもらった。そしてクラスの終了時には次回までに何をするかも言ってもらって締めくくった。

学習へのモチベーションは人によってカラーが出て面白かった。点数にあくまでこだわる人もいたし、アメリカへスポーツ観戦に行くためという人もいた。(コーチとしては「点数にこだわるのはどんないいことが待っていると思うから?」と聞きたかったが・・・)

日本語の達者な中国人もいて、彼は「語学とは話せなければ意味がない。言語はあくまでツールですから」と目的をきっぱり。

去年もこの会社の新人クラスを受け持った。理系の男性が主になるのだが、不思議なことに、必ず積極的に初対面の教師(私)に自分のことも含めて話しかける生徒にでくわす。

今年の生徒さんは、教室のドアを開けたとたんに、全員が初対面の私のほうに一斉に輝くばかりの笑顔を浮かべた。それはドキッとするほど印象的だった。

数日前に2日連続の「コーチのための終日セミナー」を受けてきていた。そのせいで、うんとエネルギーがチャージされて、パワーと陽気なオーラが出ていたのだと勝手に思っている。勝手に思うことでさらに活気づいたりしている。(笑)

コーチング・コーチで英語のティーチャーであるならば、彼らをひたすら信じ、現実をしっかり見つめ、褒めて、学習欲に火をつけて目標を達成させてあげたいと切に思う。
京セラの創業者、稲盛和夫については著書もたくさんあるし、ビジネス・パーソンなら、私よりもよくご存知であろう。

九州の片田舎から、就職難の時にやっとのことで京都の小さな機械メーカーに技術者として入社。途中仕事が嫌になり辞めて自衛隊入隊を真剣に考えたこともあったという。

そんな彼の今日の京セラを創業し会社を大きくしてきた道のりは多くの経営者やビジネス界に絶大な影響力を与えている。

私が一番関心があるのは、こんなにビジネスで大成功を収めた人間は、どんな人に出会ったときに感動するのかということだった。

なぜかといえば、彼の達成した偉大な業績を鑑みれば、周りには常に彼を敬い、気配りをし、失礼のないよう振る舞う人々が取り囲むことになる。いやらしいへつらいにはうんざりしているかもしれない。知らない有名、著名人にはその気があれば、おつきあい可能だろう。

我々は絶対普段は会えないと思われる世間でいう大成功者に一言、二言やさしい言葉をかけられたとしたら、「大感激」しないだろうか。

有名人でも天皇陛下に謁見を賜るようなことがあれば、こんな名誉で感動的なことはないはずだ。

つまり「雲の上」の人に会うことは感動することなのだ。

そんなことを考えながら、彼に関する次のエピソードを紹介したい。

65歳のころ一時得度したことがあったという。得度とは仏門に入ってほかの修行僧と一緒に修行を積むことである。朝は托鉢に出掛けたという。袈裟を着ていつものように托鉢から帰ってくると、寺の境内をおばあさんが掃除をしていた。そのおばあさんは彼をみつけると、つかつかと走り寄ってきた。「ご苦労様」と一言いって、彼の手に100円玉をそっと握らせてから、手を合わせたという。そしてすぐに去っていって、掃除を続けた。

100円玉を握り締めながら、その時稲盛和夫は今まで経験したことのないような感覚を味わい動けなかった。

その感動は頭から足の先にいたるまで流れるように伝わったという。これが「至福」ということなのかと思ったという。自然と涙が零れ落ちて頬を伝わった。

このおばあさんは身なりからして、そんなに経済的に余裕のあるような感じではなかったという。そんなおばあさんの「善意」「やさしさ」は「真の人間のやさしさ」であった。

この感動体験が後の社会福祉、社会貢献への活動のきっかけをつくったようだ。

いわばビジネスでの成功を極めたような人物、自分の目標を達成した人物が、どのような機会を得て至福を感じ、魂を磨き、自己を磨くことになるのかを知るのは大変興味深く、深い感動を覚えた。

心より稲盛和夫という人の偉大さを感じたエピソードだった。
大学生ではあるけれど、娘はまだ未成年であるために、自分ひとりで携帯電話を買うことが許されていないらしい。

一緒に携帯電話を買いについてきてくれというのだが、朝からセッションが立て込んでいた。娘はその日の午前中しか時間がないという。今使っている携帯が壊れて不便であるという。ショップは近いのだが付き添っている暇はない。使える時間は僅かに20分。

どうしたか?

絶対に無理だという娘を尻目に、20分の間ですべてを解決したいと情熱を燃やす(笑)

まず携帯電話ショップに電話して、保護者が付き添えない場合を問い合わせた。
書類に印鑑がいるという。自転車でダッシュして書類を取り寄せて帰る。その時「私が親です」と顔でアピールしておく。

帰宅して書類を記入して判を押したらちょうど20分でした。

諦め気分の娘への教育にもなって欲しいという意味を込めて。

可能性はいつもぎりぎりまで追求しています!
仕事をするということは、緊急なこと、その日の優先事項を片付けていくことが大切であるし、仕事と言うもの自体がそのような性質をもっている。

それで先送りする事柄もでてくるし、重要なことなのに緊急性がないので取り扱わない事柄もある。

自分にとって重要なのに急いでいるわけではない事柄に全く着手しないということは、夢となって終わっていることになる。本当は人生のなかで実現できれば「すばらしい」と思っていること。

そんな重要性と緊急性のマトリックスを冷蔵庫を覗きながら食べ物で例えてみた。

■重要なのに緊急性がないばかりに着手していないことは、例えば大好物の○○を現地の○○というところに行って食べようとワクワクしていること。あるいはネットで注文できるからと思いながら何年も注文することがないようなもの。いつまでたってもありつけない。そういう努力をしないから。それなのに大好物ですという。

■重要で緊急なことがらとは、まさに頻繁に買出ししては毎日の食卓を飾る食べ物。必要である。これがないと生活はできない。卵や牛乳、米を切らしていてはならない。
たまねぎがきれていたらなんて、信じられない窮地に陥る。

■重要ではなく、緊急性があることがらは本当は食べたくないのに賞味期限がせまっている食べ物。とりあえず出してしまったデザートのアイスクリーム。夜食に薦められたカップラーメン。料理に一回しか使わないかもしれないスパイス。あなたの意思でN0と言える食品群。


■重要ではなく緊急性もないことがらとは、チンして食べるジャンクフード。美味しいわけでもなく、それが必要というわけでもなく、何となく買っているようなもの。やはりジャンクフードは身体にも良くないし、それで食卓が用意できるわけでもない。くだらない。ないほうがいい。


そして先送りされた食材の運命は・・・・しっかりタッパに入れて、あるいはラップされていたにもかかわらず・・・・ある時期を過ぎると・・・腐っていた。

う~ん。これは分りやすいメタファーだと思ったのだが・・。

今日の質問:

あなたの「先送り」した事柄で重要なことはどんなこと?







「才能」だなんておこがましい。それは一部特定の人がもっている資質の話でしょうというむきがあるが、この本では、「才能=自分」という位置づけになっている。

みんな、どんな人でも才能を持って生まれてきたという。

それは原石のようなもので、磨かなければ輝くことはない。多くの人はそれに気づいていないのでもったいないとも訴えている。

自分の才能も知らず(=自分自身のことをあまりにも知らず)、ただ経験さえ積めば、あるいは知識さえ修得する努力をすれば、仕事で完全な素晴らしい成果をあげることができると考えるのは間違っているともいっている。これにはドキッとさせられる。

才能とは能力と区別しなければならない。

才能とは、繰り返し現れる思考、感情および行動パターンであり、何かを生み出す力を持つ資質であるといっている。

そのみんなのもつ才能を34の強みに分けている。

この本を買えば、ブックカバーの裏にシリアル番号があって、指定のHPにアクセスして自分の強みが分るテストを受けられる。テスト終了後に強みが上位5つ出てくる。面白いです。発見です。あなたの才能を見つけてくれます!

だから、例えば昨日のブログから言えば、私の英語というのは強みということではない。

この本ででいえば「目標志向」「最上思考」が上位2位の私の強みなので「将来はアメリカに行こう」とか「どうせ使うなら平均の英語では嫌だ」とかいうことの気持ちが何かをやろうとする原動力になっていることになる。

なるほど、納得である。

才能の活かし方も書いてあって役にたつ一冊である。



タイトルを見てすぐにあの本のことだと分った人も多いと思う。

■「さあ、才能(自分)に目覚めよう」

 あなたの5つの強みを見出し、生かす
 Now, Discover Your Strengths

マーカス・バッキンガム&ドナルド・O・クリフトン著
日本経済新聞社 発行

コーチングを効果的に進めるためには「自分を知る」ことの大切さがあるが、その過程で私はよくこの本をクライアントさんにお奨めしていた。

というのも、自分が目標を達成するためには「自分の欠点や足りないところ」にひたすら焦点をあてようとする傾向が一般にあるからだ。

学校教育で、さんざんこのような学習スタイルが強いられてきた。私にも経験がある。高校に入学した初めての中間試験の結果でクラス担任の女性教師に教員室に呼ばれた。恥ずかしながら数学の結果が全校限りなく最下位に近い。リストをよく見るともう数人が下にいた。(笑

このことで、耳が張り裂けんばかりに怒られた。そのヒステリカルな声は教員室全体に響き渡り、居合わせた他の教師が私と同じように萎縮してうなだれていた様子を思いだすと可笑しい。

自分の名誉の為に言っておくと、その時の英語はダントツの一位で、英語教師からは今後公費留学を考えないかと薦められている。しかしクラス担任は数学の悪い成績のみに焦点をあて、それが総合的にも適切な学習指導アドバイスだと思っていたわけである。

あまりにも極端な成績をとる私も何ではあるが、これは人を育てようとするときにやってしまう典型的な例になる。

それから家庭教師をつけて数学を勉強したのだが、私文系である私はモチベーションも上がらず不得意教科を勉強したところで結果は一位になるなどは間違ってもありえないことだと実体験から知っているのであるが、どうだろう?

もちろん、不得意なことはやらなくて良いと言っているわけではないので、誤解のないように。

時間を有効に使うためには得意なことに使うほうが良い結果を導き出すといっているのだ。そして何より気持ちいい。無駄なエネルギーがいらない。ストレスがない。

この本は「あなたが自然にやっていること→それこそがあなたの強み」であり、そのことに焦点をあてれば強固な人生を送れますよと提案している。

それらはギャラップ社という調査会社が過去30年間に渡って傑出した人々の体系的な調査の膨大なデータによって分析された結果に基づいている。

この「あなたらしさ→あなたの才能→あなたが生まれながらに持っている強み」というのは、能力ということとは違う。

履歴書の資格欄にかくような能力ではない。

明日は、このみんなが持つ「才能→強み」とは何かをお話します。
まだ学生のころアメリカにいたとき、アメリカ人の日本文化に研究熱心な友人がいた。文化人類学を専攻していた。日本に関するアメリカでの出版物をたくさん持っていた。

日本では目にしないような写真集もたくさんあった。というより、日本にもあったかもしれないが、私はそのときまで知らなかっただけかもしれない。

例えば日本人の背中の刺青だけの大判の写真集などは初めて見たので度肝が抜かれた。またある本は日本の社会構造を語った部厚い本なのだが、びっしりと英語の文字が詰まった中にスラム街での一部屋の写真が際立っていたものがあった。

アメリカで見るこのような荒んだ日本の恥部の紹介写真は、日本人として、何か弁解したくなってしまって、

「いやあ、このような狭くて古い建物のボロ屋でも、私だったら綺麗にしてカッコよく住まうことができるわ」

と言ったら、私の目をじっと覗き込むようにして、こう聞き返された。

「でも希望がなかったとしたら?」

答えは明白でしょうと言わんばかりだった。

人生に希望がなかったら・・・。スラム街での荒んだ生活の根底に流れているのは、「何をどうする」という問題ではない。

希望がないということは「何もしたくない」「放棄する」道を示している。

ここまでが私の十代での考え方であった。今はさらに次のエピソードを加えたくてしょうがない。

「ビジョナリーカンパニー②」を読んで知ったストックデール将軍のこと。

1965年から8年の間、捕虜としてベトナム・ハノイで20回以上の拷問を受け、いつ釈放されるかの見込みが立たない状況で生き抜いた人。

回想録で、生還できたのは「結末について確信を失わなかったこと」と言っている。

私はよく「希望を失わない」と軽く流して表現しているが、深く考えると、その真の意味するところは「信じること」であろう。そしてそれが「確信となるまで考え続けて行動するくりかえし」で実現するのだろう。

希望を失わない人はものごとを吟味して厳しい現実に真剣に対処する人なのだろう。
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