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「あなたのやってきたことはすべて素晴らしい」 この考え方になると、自分が大好きになります。自分の可能性が信じられるようになります。謙虚になれます。心から感謝できるようになります。 そんな学びの日々を記録しています。
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「あなたに期待しています」
「部下に期待している」
「次回作品に期待する」

などなど、明るい気持ちで、前向きに、気軽に、喜びに満ちて、

「期待する」という言葉を使っていますよね。私も結構使っています。でも期待したことが、期待通りにいかなかったときには、感情が揺れてしまいます。がっかり・・・というわけです。

私は昨日、ここでは詳しく言えないことなので、事例として紹介はできないのですが、この場合は人を介して貴重なものをゲットする機会が舞い込んできたのですが、手違いがあって、

棚から牡丹餅かも→「期待する」→糠喜びに終わる

という「わくわく」から「がっかり」という「感情のジェットコースター」体験になりました。そこで、「がっかり感」をじっくり心底味わってみることにしました。

「運が悪いわ」「なぜこうなんでしょうね~~」「縁がないかも~」「やっぱりそういうことなんですか」などなど暗~い気持ちを底の底まで突き詰めて感じて味わってみたんです。

そうすると・・・発見したんですね~~あることが。期待するってことは、私の場合、依存心が急にわき起こってくるってことが。人や物が向こう側から必ずやってくるべきで、それによって私は幸福になるという青写真の縮小版。

内側の自分自身は、beforeもafterも揺らぐものはないはず。外側に起こっていることに依存するから、がっかりすることになる。

とくに人に焦点をあてて、期待するのは、あんまり良いことではないのではないかと思いました。例えば「子供に期待する」=「子供が幸福にしてくれるはず」などは、危険ではないでしょうか。では、期待しないで、どうすればいいのか探していたら、

「信じている」

になりました。「信じている」に置き換えると、結果が悪い場合でも長期的展望で見ることが出来て、「がっかり感」がきれいさっぱりと消滅していきました。どうぞ部下をお持ちの方は「部下に期待する」より「部下を信じて」あげてください。ミスを犯しても対処や指導の仕方が変わります。

私の今回のケースも、ゲットできるチャンスは自分から求めていく姿勢は保ちながら、結果に依存することをやめました。人に「信頼感」を抱くことで、結果がどうであれ、心から感謝することができました。

相手に対しても、自分自身も、とても自信に満ちてくる感じがします。どんなことが起ころうとも良き方向に向かっていこうという意欲がでてきました。

「期待する」という言葉、試しに広辞苑で調べたら、「将来そのことが実現すればいいと、当てにして待ち設けること」ですって。やっぱり「当てにする」と明確にされていますよね。

人に期待することをやめたら、

すごく快適です!

期待するとしたら、

自分に期待するのが一番です。
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日本画家の片岡球子さんが死去された。103歳だった。このニュースを知って最初に思ったのは、馬鹿げているかもしれないけれど、「片岡さんでも最後はやってきたのか」

100歳まで描き続けるということを目指されていた。死ぬまで現役。芸術家にとっては当たり前とはいえ、彼女の情熱の「ねばり」はすごかった。

私は日本画がとくに好きというわけでも、それなりの知識があるというわけでもない。

片岡球子さんのことを知ったのは、恐らく彼女が80代のころ。自宅で創作に没頭している姿やインタビューなども含まれたドキュメント番組だったと思う。

それまで日本画というと、私の浅薄なイメージでは、心やすらかになる淡く繊細な色調で描かれた四季折々の花鳥風月であった。

ところが彼女の作品を見て仰天した。武将や浮世絵師の顔をいっぱいに描いた「面構(つらがまえ)」シリーズ。もうひとつのライフワークであったテーマは「富士山」なのだが、この個性的で活力あふれるおびただしい作品群に圧倒されてしまった。

その作品はどれもパワフルでエネルギーが満ち溢れている。静かな作品ではない。そしてドキュメント番組で紹介された彼女その人も、80代でありながら、出向いて富士山の写生を日課とし、「毎日コレ勉強」という姿は筆舌に尽き難いほど、パワフル!

若いころは帝国展とか院展の「落選の神様」といわれたくらい、時には死んでしまおうと思うほど落選し続けていたと知って驚いた。でもあきらめなかった。そして「自分の絵」を貫いた。そのことが、返って彼女をここまでねばり強くしたのだろうか。

強靭な鋼のような彼女の画家としての意志を知って、片岡球子さんにおいては「絵筆を休めないこと」=「生きること」に終わりがないように思ってしまった。

天に昇った魂に、今は少しばかりお休みになればというような言葉がけは最も彼女に不似合いに違いない。

ご冥福をお祈りします。

テレビを見ていて、実はCM自体は結構楽しんでいる。映画放映などでは、もちろん中断されるので迷惑極まりない。だからテレビで映画鑑賞することはめったにないが・・。

ちょっと気になるのがTBCのオリンピック代表選手6名が登場するコマーシャル。

第一印象:不気味

ひとこと:「美しくない」

二言目:「強そうでもない」

蛇足:「笑顔がない」

意図するタイトルはTrue Beautyだとか。
キャッチは「日本はこんなにも美しい」

ふ~む。

何も私はファッションモデルのようにとか、構造上での美を問うのではない。静止する姿の美を追求して失敗しているような気がする。

アスリートにとっては「動く」ことが彼らの最大限の能力を発揮している瞬間。動きのシークエンスのなかで切り取った部分で美しい。CMでは、つくられた動きを入れて、静止させている。その硬直した切り取り場面には、本来の彼らの能力が発揮されているとは感じられない。どうしていいのか、なす術を失っているように見える。作為的にポーズをつけるのは苦手なのでは・・。


現に、何度も映像で彼らの自然な「美しい姿」を記憶している。それなのにこのコマーシャルで観る彼らは美しくない。谷亮子も浜口京子ももっと素敵な表情を思い出す。高橋大輔しかり、北島しかり・・。極め付けは6人全員でのポーズ決め。強者の美の集結であるはずなのに、不気味に静まり躍動感のあるエネルギーがない。

ピン芸人の代田ひかるさんの語り口をまねして、「私だけなのでしょうか・・・こう感じるのは」と、辛口に茶化してみたくもなった。

私の辞書の「美しさ」の定義

◆最大限に自分の能力をパフォーマンスできているときに現れる達成された、あるいは解放された喜び、またある時には緊迫した集中の表情。その人、固有にある輝きをほかの多くの人に感じさせ、伝える力をもつもの。
午前中のティーブレイクにテレビをつけたら、芥川賞作家で副住職でもあるお坊さん作家、玄侑宗久さんがインタビューされていて、その魅力ある話に引き込まれた。

何でも作家になる前に禅寺で修行したことがあるという。嵐山近辺にある天竜寺で、雲水の修行では最も厳しいことで有名らしい。なかでも一週間に及ぶ座禅の修行が一番きつかった思い出だという。

一日に許される睡眠時間はたった2時間だけ。座禅中に、緑色のオーラを見たり、もう一人の自分を見た。その自分は動いていた。座りっぱなしのつらさからだろうか、「動く」ことへの欲求がそのまま幻覚になって目の前に出現した。今だからこそ楽しそうに穏やかに話されていたが、相当につらかったという。

「3日ぐらいで限界がくる」と思っていたら、本当に3日目に限界を体験した。

いわく、「3日ぐらいで限界」と自分で「思う」と、みごと「その思いを果たす」ことになる。そう実感した。

だから、「思いを変えれば、身体はついてくる」という考えに至り、7日間の修行を無事終えることができた。

「思い」って大切ですね。「心構え」に近いでしょうか。「自分への期待値」「自分への信頼度」いろいろと言い換えても興味深いかもしれません。そこで今日の学びからこんな挑戦を提案します。


◆飛躍への提案◆

あなたが「思い込んでいる限界」を「新たな思い」で更新してみませんか!

あけましておめでとうございます。

2008年になりました。今年も引き続き「私らしい生き方」で前進していきます。

「私らしい生き方」・・・それは単にがむしゃらに努力するということではないと感じています。

そんなことを感じていたときに出会った本・・・「最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと」という何とも長いタイトルの一冊のなかにこんな表現がありました。

『成功とは何かの蓄積というより、編集の結果である。
例えば積み重ねてできていく「建造物」ではなく、切り落としたものの結果である「彫刻」である』と。

自分が求めている理想像を創るという行為は、思いきって「捨てるもの」があるはずという警告でもある。ともすれば何でもやってみるのが懸命な生き方のように考えられるが、時間は限られている。より集中するためには、必要でないものを捨てる勇気がいると。

「成功」という主語は、そのまま「後悔のない自分らしい生き方の追及」=「人生の成功」と置き換えてもさしつかえないと思う。

ひいては自分の「強み」を機会をとらえながら活かしていくことにつながっていく。弱みを克服するために多大な時間を費やす愚行は避けたい。強みの向こうに見えるさらなる輝きを求めての挑戦はあるでしょう。

つまり自分の強みに焦点を当てて、磨き込む・・・そんな一年にしていくということです。
23日のクリスマス・イブ前夜(?)に横浜・元町に出掛けました。

目的は神奈川県民ホール・展示室であった最終日の催し「覇王別姫芸術展」を見るため。

1993年度カンヌ映画祭パルムドール大賞受賞作品「さらばわが愛・ 覇王別姫」の貴重な撮影資料ビデオ、メディア資料展示、京劇俳優のメイクの実演、など無料とは思えないほどの充実ぶり。一日かかっても網羅できない内容であったことを会場で気づく。

私が出掛けた理由は主演俳優のレスリー・チャンがお気に入りの俳優だったから。来年3月には蜷川幸雄演出で東山則之さん主演での舞台もあります。京劇の演目「覇王別姫」をベースにしているだけだと思うので、ストーリー展開も切り口も異なるものを想像していますが、女形ということではレスリーを上回る演技は期待できないのでは、とコーチング・コーチにあるまじき「決め付け」をしています。(笑)

充実感いっぱいながらも、まだまだ滞在したかった会場を、後ろ髪を引かれる思いで出たのは午後4時。そういえば、とび起きて横浜まででかけてきて、朝食もとっていませんでした。目指すは中華街へ。

最後に中華街に来たのは、今年の夏頃だったか・・。目に入ってきたのは、意外にも日本の正月を連想させる角松飾りがあちこちの店の前に・・・。クリスマスツリーなどの飾りはどうだったのか・・・極彩色のチャイナタウンのなかで記憶がない。きっとなかったはず。と思ったら、クリスマスイルミネーションのチャイナタウンだったらしい。まったく記憶にないというのは、心は外に向いてなかったから。

それでもひと味違う師走の中華街。洗練されない雑多さがさらにどことなく魅力的。「紅棉」というお店で月餅を買って帰りました。これがすごく美味しかった。添加物なしの手作り。松の実などいろんな木の実がザクザク入った香ばしくてずっしりしていて程よい甘さの月餅。

チャイニーズ風アフタヌーン・ティーをセッティングして(飲茶ではないですよね、お菓子だけのときは?)、100グラム3千円以上した安渓鉄観音も、この際近くで購入。これは失敗でした。期待はずれ。もっと高いの買わないとだめなのでしょうか・・・。一個450円の月餅は結構大きいのですが、ナイフをいれて、つまみながら一個ぺろり。

ひとりだけのゆっくりした時間を満喫いたしました。
人生の大先輩でその生きる姿勢にいつも学ばされているある女性から、嬉しい忘年会のお誘いをいただいた。

その集まりは私の知らない方ばかりなのだが、彼女のお誘いのメールの中に

「人生女盛りは金持ちより人持ちって言います」というのがあった。

なるほどねー。そう聞いただけで楽しくて豊かで幸せな感じがします。知らない人たちばかりでも「行ってみよう」というモチベーションが上がり、誘い上手だな、と感心もしました。

今年の秋にはいろんな参加したいイベントやお誘いがあったのだけど、仕事と引っ越しなど、ビジネスでもプライベートでも予定が詰まりすぎて参加できなかった。

年の瀬になってのお誘いがこのところ嬉しい。今週はもう一件知らない人がたくさん参加するクリスマス・パーティーのお誘いがある。

人持ちになりましょう!お金を貯めるよりは楽しいですね!
60歳の若さで無念にも亡くなってしまった叔父が私に宛てた一枚のハガキが突然現れた。

10月末に引っ越しをしたのだが、その後も乱雑に紙類を押し込めた引き出しの中にまぎれ混んでいたのだ。そのハガキはよく見ると賀状であった。

手紙や葉書は別のところにまとめてあったので、おそらく当時の私としては、出産して明けた年なので、周辺も慌ただしく、そんなに気にとめることもなく、散らかしたままにしていたのだろう。

私への宛先住所と左寄せに「男子出生おめでとうございます」とだけ個性的な字体でさらりと書いてあった。表の絵柄は、叔父はデザイナーだったので、絵の具のグレイをバックにブーケのリトグラフが印刷されていた。

その筆跡を目にして、思わず涙がこぼれた。

その字が「生きていた」ように見えた。生きている人の体温を感じた。

叔父の全人格が思い出された。

叔父には大変失礼かもしれないが、残した賀状のステキでモダンなデザインを見て感慨にふけるというのではない。「筆跡」を見て、忘れていた感情が蓋を押しあけて、一気に噴き出てきた。

叔父は私の出産祝いにとびっきり上等でモダンなベビーカーを送ってくれて、「当時」の私はそのプレゼントに喜々としていたかもしれない。その年の年賀状なんて2秒ぐらい目を通しただけだったかもしれない。記憶にも残ることなく、スルーした年賀状が、今、目の前にとてつもない存在感をもって現れた。

なぜこんなに、筆跡がものを語り始めるのかというと、それは「言葉の力」もあるのだろう。ひとことの優しいことばがその人ならではの筆跡のビジュアルな表現と一緒になって相乗効果をなす。

なるほど、「書」の根源的な力と意味、芸術性を、一枚のハガキが教えてくれたような気がした。書とは、市井の人々の日常から、生まれるべくして生まれたのだと。



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